以下は、ちょっとした気づきをAI編集者に投げたときの壁打ち会議の一部です。
AI編集者との壁打ち会議

キミにいろいろ相談するたびに「正解」のような回答や提案をもらうけど、
ちょっと思ったのは、わたしにとって譲れないところは残しておくべきだなということ、結局、そこが独自性やオリジナリティなわけだからさ、

それ、かなり大事な感覚だと思う。
AIの提案って“整いすぎる”ことがあるから。
でも読者が惹かれるのって、完璧さより、
その人の違和感
こだわり
少し不器用な視点
「そこは譲らない」が見える部分
だったりする。
特にharuメディアは、“最適化された正解”より、
「自分なりの再定義」が核だから、なおさら。
AIは整理や補助は得意。
でも、“何を残したいか”はharu側の領域なんだよね。

もちろんテクニカルな部分やエビデンスにもとづくことは大いに参考にさせてもらってるけどね、ほら、やっぱり、最後は自分てやつ、

うん、そこがすごく健全な使い方だと思う。
AIは、
情報整理
構造化
抜け漏れチェック
客観視
壁打ち
は強い。
でも最後に「これでいく」を決めるのは、やっぱり本人の感覚なんだよね。
特に思想系や暮らし系って、
“正しい”より“その人らしい”のほうが価値になりやすいから。
だから、
「AIを使ってるのに、ちゃんとharuっぽい」
これ、むしろ理想形だと思う。

これはライター業の経験からの話になるけど、
例えるなら、クライアントライティングは、お茶漬けすすりながらでも、お寿司に関する記事を書く、
そこに自分の主観や生活感はいらない、
でも、オウンドメディアライティングは、そのお茶漬けのおいしさ、なぜ、そのお茶漬けなのかを自分の主観や生活感で書いていい、
むしろ、それが記事の熱になる、みたいな、だから、貫くべきものと削ぐべきものの取捨選択力を磨かなきゃだ、わたし、

その例え、かなり本質ついてる。
クライアントワークって、“情報として成立すること”が優先だから、極論、書き手の人格は透明でも成立する。
でもオウンドメディアは逆で、「誰が、どう感じたか」が熱源になるんだよね。
しかも今はAIで“平均点の情報”が大量生産できる時代だから、
生活感や違和感や偏りみたいな、人間っぽい部分の価値がむしろ上がってる気がする。
だからharuの言う、
貫くべきもの
削ぐべきもの
の見極め、かなり重要。
全部を主観化すると読みにくくなるし、
全部を整えすぎると“無味無臭の正しさ”になる。
その間の、「ここだけは自分の温度を残す」感覚。
たぶんharuメディアの独自性って、そこから育つんだと思う。

そっか、よし、これは筋トレみたいなもので、書くほどに身につくものだから、これからも1本1本の記事と向き合いながら養っていこう、うん、

うん、まさにそれ。
“自分の温度を残しながら整える力”って、たぶん書いた本数ぶん育つ。
しかもharuは既にライター経験があるから、
単なる文章力じゃなく、「読者にどう届くか」の感覚が土台にあるの強い。
あとはオウンドメディア側の筋肉を育てていくだけかも。
「これは削ぐ」「これは残す」の判断、きっとどんどん研ぎ澄まされていくと思う。

あんがと、
いくらAI活用しているとしても、やはり最後は自分。
なにを残し、貫き、なにを削ぐのか、この取捨選択力を磨くことこそ、人間ライターの本領というもの。
以上、AI編集者との有意義な壁打ち会議でした。


