ちゃんと、ではなく、ちょうどよく。
「ラテラル」って、ちょっとずらしてみて、「正解」より「最適解」を見つけることだから。
おひとり暮らしのミドルだからというだけでなく、たぶん性格的なものもあり、わたしの人との交流は活発ではない。
それが「苦手」とか「嫌い」というわけではなく、ただ、「そのままの自分でいること」が心地いいから。
やっぱり、誰かと深く、あるいは長く関わろうとすると、「そのままの自分」というわけにはいかないから。
ただ、おひとりミドルの日常にも、ちょうどいいと思える人間関係はある。
つかず、離れず、親しみをこめて。
そんな、距離感。
ときどき外で食事をしたり、遠くにドライブしたりするのは、20歳近く離れた姪っ子。
彼女からのお誘いには、ほぼ「OK」で予定を合わせる。
なかなかハードな仕事をしているため、わたしから誘いたいときは「また、」とか「いつでも」とふんわりさせて、彼女の気分や都合に寄り添う。
彼女の母親である姉とは、ときどきLINEや電話で話すくらい。
でも、なにかあったときの心強さは天下一だ。
どんなことも、姉と話していたら、なんとでもなる気がする。
姉の息子、つまり甥っ子の彼とは、姉や姪っ子を通じて、やんわりつながっている状態。
弟とは、お正月に家族が揃うときに会うくらい。
仲が悪いというわけではないが、年が近すぎて、お互いぎこちない感じ。
ただ、弟のパートナー、つまり義理の妹とは、たまにLINEをする。
家族での連絡も、義妹を介して行う方がスムーズ。
母親を早くに亡くした義妹を、生前、わたしの母は自分の娘のように慈しんでいた。
やっぱり「家族」って、日常的に話したり顔を合わせたりしなくても、なんとなく「気配」がある、そんな存在だ。
どちらかというと、日常的に接するのは、ご近所さん。
ワンちゃんを連れたご夫婦や庭で花いじりをしているご婦人など、散歩の途中に出会う人たち。
よく会う人にも、初めての人にも、たいてい自分から声をかける。
なんの利害もない相手だから、自分を取り繕うこともない。
その場限りといえばそうなので、そのままの自分で差し出せる、めいっぱいの愛嬌を添えても消耗しない。
おひとりで、たまのランチに出かけたときは、そこの店員さんとも話す。
レジのときに、ほんの、ふたこと、みこと。
ソロ活でウォーキングや遠出をしたときも、一期一会の相手に軽い挨拶を。
家族でなくても、その日、人と接したという温度感が、おひとりミドルの暮らしをほんのり灯してくれる。
毎日、積極的に人と交流することがなくても、ちょうどいい距離感で、ちょうどよく関わる。
つかず、離れず、親しみをこめて。
それが、おひとりミドルのわたしにとっての、ラテラルな人間関係。


