おひとりミドルの私にちょうどいい「ラテラルワーキング」という働き方

一人暮らしのミドル世代が自宅で自分らしく働いているイメージ ととのう働き方

ちゃんと、ではなく、ちょうどよく。

「ラテラル」って、ちょっとずらしてみて、「正解」より「最適解」を見つけることだから。

そうやって、少しずつ、自分らしいスタイルにととのってきた「ラテラル」な働き方。

それは、Webライターという職種とフリーランスという形態の組み合わせです。

新社会人としては、氷河期時代の就活を経て一般企業に就職。

以来、長らく営業職に従事しました。

それなりにやりがいはあったものの、なんというか、契約を取らないと、「生きている気」も「生きていける気」もしなかったです、実は。

そして、30代半ばで接客業へ転向。

きっかけは単純で、いろいろ「限界」だったから。

営業職が長かったため「人馴れ」はしていたのだけど、どこか、相手に迎合することで成り立つ関係性や業務上の成果を「やりがい」と勘違いしていました。

やがて、だんだん相手を満たすために取り繕うことができなくなって、そうなると会社が求めている人材でいられなくなって、長時間勤務や配置替えによるストレスも加わり、心身の不調により休職に。

いま考えると、その職業や職場が自分を疲弊させたのではなく、そもそも自分を誤魔化して職選びしてたことが原因だったと。

つまり、「やりたい」より、「やれそう」を選択した「ひずみ」が積み重なっていったのでしょう。

でも、この「ひずみ」が挫折や後悔、自信喪失の果てにもたらしたのは、「原点回帰」でした。

もちろん「ここは原点回帰だ」なんて、当時は客観的に分析できるはずもなく。

ただ、なんとなく一般的にいわれている「社会復帰」はできない気がして、だったら「このまま自宅で仕事するとして、どうすればいい?」と追い詰められるように思案に明け暮れたのです。

当時はChatGPTのようなAIも身近ではなく、家族にも相談できず、ひとりで悶々と考えるしかありませんでした。

幸い、パソコンを持っていて、ネット環境もありましたから、とにかく「在宅ワーク」というキーワードで来る日も来る日も猛リサーチ。

リモートワークやテレワークという言葉も概念もない時代だったので、ニッチといえばニッチな働き方へのチャレンジではありました。

そうやって、いろいろな情報を紐解きながらたどり着いたのが、Webライターという職種です。

もともと「書く」のは好きでした。

小学生のとき、学級新聞を作るのに夢中になったことがありましたが、あれが「原点」だと思います。

書くことが好きとはいえ、小説家や新聞記者になりたいわけでも、なれるつもりもなかったのですが、Webメディアという、当時は自分にとっても「新しい分野」で書くことに、とてもワクワクしたのを覚えています。

ただ、自分で自分を「ライター」と認められるようになるには、かなりの研鑽を積みましたが。

それでも、「好き」を仕事にできたという原点回帰が功を奏して、フリーランスという自由と不安定さが並立するような形態であっても、いちばん長く続けられています。

やっぱり「好きこそものの上手なれ」で、「好き」はすべての原動力です。

これ、ただの理想論じゃなく、「好きだから嘘のない100%の自分で取り組める」、裏を返せば「好きじゃなきゃ100%の自分で取り組めない」ということ。

つまり、気持ちと行動が完全一致することで、プロセスもゴールも変わるという哲学です、おそらく。

ちゃんとした会社のオフィスにちゃんと出勤して、与えられた業務をちゃんと遂行して、毎月ちゃんとお給料をいただく─。

これが、当時の自分にとっても家族にとっても疑いようのない「正解」だったわけですが。

これ以上は落ちるところがないだろってくらいドン底まで自己評価が下がり切って、まるで打つ手がない八方塞がりの状態になったからこそ、その「正解」からちょっと身を引けたのかもしれません。

その結果、自分の「好き」に何十年かぶりに気づけて、それが「最適解」だと予感して、藁をもつかむ思いで「好き」を仕事にできました。

好きなことを、ちょうどよく─。

それが、わたしにとってのラテラルワーキングです。

働き方は、生き方そのもの。

だから、自分の「好き」を軽んじず、自分の「好き」をちょうどいいカタチにする、そこを大切にしています。

自分の「好き」を仕事にするためのヒントはnoteに詳しくまとめていますので、もし、ご興味があれば、のぞいてみてください。

「好き」を仕事にするには?キャリア10年のWebライターが直伝

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