おひとりミドルの私にちょうどいい「ラテラルマインド」という価値観

ひとり暮らしのミドル女性が自分らしく過ごしているイメージ ととのう価値観

ちゃんと、ではなく、ちょうどよく。

「ラテラル」って、ちょっとずらしてみて、「正解」より「最適解」を見つけることだから。

いつしか、年を重ねながらととのってきた、自分にとっての「自分らしさ」という「ラテラル」な価値観。

それは、おひとり暮らしを穏やかに、ゆたかにしてくれる。

おひとり暮らしは「自由」だ。

とはいえ、なんでも好き勝手に、好き放題で、という意味ではない。

おひとりミドルのわたしが考える「自由」とは、生活における決定権の範囲が広がること。

また、おひとり部屋では人目に触れない気楽さがあり、外出先では自分の選択だけで予定を組み立てられる。

あと、自分を最優先にできる特権。

これ、なかなか簡単ではないものの、慣れればクセになるだけでなく、毎日が自分らしくととのってくる最上級の「自由」。

いつだったか、おひとり暮らしが板についてきた頃、こんなメモをしていた。

「孤独を楽しんだら、自由になった、自由を楽しんだら、自分になれた、」

たとえば「自由と孤独は表裏一体」とされるけど、あの頃のわたしも「孤独」という状況に生きてはいた。

ただ、「孤独」だから寂しいとか、「孤独」だから可哀そうとか、「孤独」だからつまらないとか、そういう法則には当てはまらなくて。

なんというか、「孤独」という状況を否定も肯定もせず、そこでの過ごし方を少しずつ変えていっただけ。

ずっと一緒に暮らしていた最愛の母や愛しいネコちゃんたちを見送って、もちろん喪失感や空虚さは多分にあったのだけど、自分のためだけに使える時間が増えたから。

たしかに世話を焼く相手がいなくなって張り合いがなくなったものの、「自分」や「自分のこと」に気持ちを向けられるようにもなって。

そしたら、毎日の暮らしの中で「自分を最優先する」ということが、だんだん大きくなっていった。

ふと、これって「自由」だなと思えて、そういう意味での自由を噛みしめていると、孤独だけど、「自分」を自分らしく楽しめてるなと着地したというか。

だから、
「孤独を楽しんだら、自由になった、自由を楽しんだら、自分になれた、」という思いに至ったと。

まぁ、「自分らしく」といっても、自分を律したり、立派にしたりするわけじゃなく。

ただ「自分を最優先する」だけ。

たとえば、自分を甘やかす、ねぎらう、ご機嫌にする─。

だって、50年以上生きてきたし、おひとり暮らしと引き換えに、おひとりならではの生きがいや生きる喜び、生きる楽しみがあってもいいよねと。

大きなテーマじゃなくていい。

成長とか成果とか生産性にこだわるのでもない。

外から与えられるのを期待するだけでもない。

とにかく、自分が自分を大切にする、自分の気持ちを尊重する、自分の身体をいたわる。

そうやって、自分のご機嫌をとる、そして、それを自分に許可する。

それができる自由、これが醍醐味、おひとりミドルなればこそ。

わたしが大切にするものから、わたしは大切にされるだろうから、きっと。

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