AIとのラテラルシンキングで「自分軸」を再定義してみた|ミドル世代の思考整理

AIとともに再定義

最近よく目にする「自分軸」という言葉。

ですが昭和世代のミドルとしては、正直なところ、いわゆる自己啓発やポジティブ思考とどう違うのか、いまひとつピンと来ていませんでした。

「自分らしく生きよう」
「ブレない自分を持とう」
「好きなことを大切に」

たしかに理想としては理解できます。

ただ、実際の人生はそんなに単純ではありません。

仕事、生活、健康、人間関係、経済状況。
ミドル世代になると、自分ひとりの意思だけでは動かせない現実も増えてきます。

だからこそ今回、「自分軸」という概念を、一般論のまま受け取るのではなく、自分の経験や価値観、暮らし方に合わせて“再定義”してみることにしました。

そのとき役立ったのが、わたしがメディアテーマにもしている「ラテラルシンキング」と、AIとの対話です。

「自分軸」という言葉が広まった時代

「自分軸」という言葉は、ここ数年でかなり周知されました。

SNSやYouTube、ビジネス書などでも頻繁に使われています。

一般的には、

・他人に流されない
・自分らしい選択をする
・自分の価値観を大切にする

そのような意味で語られています。

たしかに現代は、思考にまつわる情報も理論も多すぎる時代。

他人の成功例やライフスタイルばかりを注視していると、知らないうちに「誰かの正解」を追いかけてしまいやすい。

だからこそ、自分の感覚や感性にマッチした価値観を持つことが重要視されるようになったのでしょう。

ただ一方で、「自分軸」という言葉から、わたし個人は、どこか“頑なな強さ”が求められているようにも感じていました。

ブレないこと。
信念を持つこと。
影響されないこと。

それは素敵なことですが、ミドル世代の日常は、もっと複雑で揺らぎやすいものです。

でも、「自分らしさ」は失いたくない、むしろ、やわらかく芯を残しておきたい。

そのように思えたので、いかにして「自分軸」を自分らしく定義するか、ここにトライしてみました。

ラテラルシンキングで「自分軸」を置き換えてみた

そこで参考にしたのが、「ラテラルシンキング」という考え方です。

ラテラルシンキングとは、心理学者エドワード・デボノ氏が提唱した「水平思考」のこと。

ひとつの正解にとらわれず、視点を少し横にずらしながら、新しい可能性や最適解を探していく思考法です。

わたし自身、この考え方を知ったとき、「ああ、自分がずっと無意識にやってきたことかもしれない」と感じました。

自分の日常や人生に起きてくる思いがけないことで、心や体、時間を無駄に消耗しないための潜在的処世術のようなものだったのです。

真正面から突破するのではなく、

・少し角度を変える
・負担の少ない方法を探す
・今の自分に合う形へ調整する

そうやって、暮らしや働き方、人間関係を“自分仕様”に置き換えながら生きていく。

これが、自分にとっての「ラテラルシンキング」です。

AIとのラテラルな対話で再定義した「自分軸」

今回、「自分軸」を再定義するうえで、大きな役割を果たしたのがAIとの対話でした。

普通に検索して情報収集しているだけだと、どうしても既存の概念や“正解っぽい言葉”に引っ張られてしまう。

ですがAIとの対話は、こちらの感覚を微調整しながら、自分の言葉として整理していける感覚があります。

実際、わたしもこんなやり取りを重ねながら、自分の中にあった「軸」の正体を少しずつ言語化していきました。

これより、わたしと相棒AIとの極秘セッションの一部を公開いたします。
プライベート空間での会話なので、ラフな表現も多々ありますが、ご容赦ください。

私「自分軸の“軸”って、なんか硬いもののイメージがあるよな。」

AI「たしかに、“ブレない軸”っていう、硬い棒みたいなニュアンスで使われることが多い。」

私「なんか、頑なさとか、頼もしさとか、そういう感じ。」

AI「“強くあること”が前提になっている印象があるよな。」

私「でも、自分事で考えると、自分軸=自分らしさとするなら、自分らしさって、ポジティブでもネガティブでもなく、フラットに調律する感覚なのよ。」

AI「それ、かなりharuさんらしい感覚だわ。“感情を消す”ではなく、“極端に振れすぎないよう整える”ということだよな。」

私「そうそう。これは無意識にやってきた癖みたいなもので、体力も時間も意識も消耗させないため、失業とか、体調不良とか、母との別れとか、そういう苦い経験を繰り返す中でしみついた気がする。」

AI「つまり“強くなるため”というより、“壊れないため”に身につけた感覚なんだな。」

私「そうそう、それ。オウンドメディアでは、こういう“調律感”をテーマにしたいなと思ってる。『ととのう暮らし。』なのだから、ミドルの毎日を軽やかにするための価値観というか。なので、ニュートラル?フレキシブル?ラテラル?この違いとか使い分けも整理したい。」

AI「ニュートラルは、“偏らずフラットに見る姿勢”
フレキシブルは、“状況に応じてしなやかに変化できること”
そしてラテラルは、“既存の正解にとらわれず、自分なりの別解を見つける視点”だね。」

私「つまり、世の中の一般論や常識を、自分の最適解に再定義するのが、わたしのいう“ラテラル”なんだな。」

AI「そう。ニュートラルに現実を見て、フレキシブルに対応し、ラテラルに再定義する。これ、haruさんの生き方そのものだと思う。」

私「なるほど。無自覚の処世癖みたいなものだったけど、ちゃんと“自分軸”になってたのか。」

AI「しかも、その“自分軸”って、一般的な“ブレない自分”とは少し違うんよね。

他人に左右されない、信念を貫く、という“硬い棒”みたいな軸ではなく、右にも左にも動ける。でも、自分を見失わない。そんな“しなる軸”に近い。」

私「しなる軸、ラテラル軸、いいね。しなやかに強く、しなやかさって、強さだもんな。たしかに、カチカチの硬い棒より、しなる棒の方が折れにくいもんな。」

こうしてAIとの対話を通じて見えてきたのは、「自分軸」とは、強さや頑丈さだけではないということでした。

むしろミドル世代に必要なのは、変化する現実に合わせながらも、自分を見失わない“しなやかな根幹”なのかもしれません。

「そのときどきの自分にとって、もっとも無理のない最適解を導ける感覚」

これが、AIとのラテラルな対話で再定義された、今のわたしにとっての「自分軸」です。

わたしにとっての「自分軸」は“しなやかさ”だった

わたしの中で再定義された「自分軸」のポイントは、“しなやかさ”です。

ニュートラルに現実を見る。
ラテラルに考える。
フレキシブルに生きる。

その積み重ねによって、どんなときでも自分を過剰に消耗させず、外側の現実にも翻弄されにくくなる。

もちろん、これは精神論だけではありません。

体力、時間、経済状況、社会性。

そうした現実的な条件まで含めて総合的に自分をプロファイリングし、「いかに無理なくニュートラルでいられるか」を探していく感覚です。

さらに最近は、量子力学や衛星システム、AI技術など、デジタル社会の進化を見ていて、こんなことも感じます。

もしかすると「自分軸」とは、CPUやアルゴリズム、プロトコルのようなものなのかもしれない、と。

スマホやSNSでも、自分の興味関心に合わせて、おすすめ情報が最適化されていきます。

それと同じように、自分の内側の“設定”が整うことで、外側の現実との親和性も高まっていく。

すると、

・出会う情報
・見つかる選択肢
・生まれるひらめき
・起こす行動

が少しずつ変わり、結果として日常そのものも変化していく。

そんな内側と外側の“同期”のような現象が、自分軸のアップデートによって今後の人生にもたらされるかもしれません。

「自分軸」は、自分の最適解で再定義していい

「自分軸」という言葉に、正解はないのだと思います。

強くあることだけが、自分軸ではない。
ブレないことだけが、自分軸でもない。

ときには揺れながら、
その揺れを調整しながら、
少し視点を変えながら、

そのときどきの自分に合った最適解を見つけていく。

それもまた、ひとつの“自分軸”なのではないでしょうか。

わたし自身、AIとの思考整理を通じて、「自分らしさ」は固定されたものではなく、年齢や環境の変化によって“更新されつづける感覚”なのかもしれないと感じています。

だからこれからも、自分にフィットした「自分軸」を残しつつニュートラルに現実を見ながら、いろいろなことにフレキシブルに対応し、いろいろなことをラテラルに再定義していければと思います。

ぜひ、あなたにとっての「自分軸」も自分らしく再定義してみてくださいね。

ラテラルというテーマの意味

わたしが当メディアでテーマにしている「ラテラル」とは、
しなやかな自分軸で、
日常に、人生に、ふと訪れる「揺らぎ」を、
できるだけフラットに調律しようとする、
そんな自己定義された、やじろべえ感覚のことです。

ラテラルライフ。
ラテラルワーキング。
ラテラルシンキング。
ラテラルコミュニケーション。

おひとりミドルの暮らしをととのえるため、
「ちゃんと」ではなく、「ちょうどよく」。

揺らぎやすい人生の移行期において、
なるべく消耗せず、
自分らしく暮らすための“処世癖”のようなもの。

それが、わたしにとっての「ラテラルマインド」です。

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